Rosa†Antica(ロサ・アンティカ) - アンティーク・レトロ雑貨店店主、女優、人形作家、由良瓏砂のブログ

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2021

No.0357

《哲学者の薔薇園》×猫蔵コラボ 生贄フィールドワークレポート

1月31日(日)《哲学者の薔薇園》×猫蔵コラボ企画として、上野公園にフィールドワークに行ってきました。
参加者は猫蔵さん、松尾さん、小松さん、悠雅くん、私の5名。
下見の時と大体同じコースを辿りました。

13時、上野駅公園口に集合。
風が強かった下見の日とは違い、暖かい日だったのが幸いでした。
皆が集まったところで、まずは清水観音堂へ。

観音堂の向かいに、大きな碑があったので何かと思って見に行ったら、「王仁博士碑」とのことでした。
日本に『論語』『千字文』を伝えた方だそうなので、かなりの重要人物ということになります。

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まずは、清水観音堂の中に入ってお詣り。中は撮影禁止です。
舞台から不忍池を眺めると、「月の松」の丸くなった幹の中に丁度弁天堂が見えることに気づきました。フォトジェニック!

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配信予定時間になったので、小松さんが機材をセッティングし、配信開始。
今回は後でYoutubeにアップする用に、別にマイクを用意しました。
ところが、お堂の中から僧侶が「取材禁止です」と出てこられたので、慌てて降りることに。

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人形塚を背にした猫蔵さん。

人形塚に寄ってから階段を降り、通行人を映さないようにインカメラに切り替えて、不忍池の弁天島に向かいます。

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下見の記事にも書きましたが、京都の鬼門封じである比叡山延暦寺を模して、江戸城の守りとして東叡山寛永寺が慈眼大師天海によって建立されました。
他にも京都の寺社を模して造られた建造物が至る所にあり、清水観音堂は清水寺、そして不忍池は琵琶湖を、弁天島は竹生島になぞらえて作られたそうです。

橋の右側を歩いて一際目立つ「不忍池」の碑を過ぎたところの「めがね之碑」。
石に象られた眼鏡のレリーフのモデルは、徳川家康の所蔵していたという日本で最初の眼鏡です。

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日本画家・長谷川利行の歌碑を過ぎて、「魚塚」へ。

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東京魚商業協同組合が昭和51年に建立した、魚類の霊を供養する為の碑である旨が、魚市場の歴史と共に刻まれています。

横には大黒天堂があり、豊臣秀吉が信心していた旨の由来が記されていました。
「確かに秀吉は大黒天っぽいですよね。それで家康は福禄寿で、信長は毘沙門天」などと適当なことを喋りながら、次は弁天堂にフォーカス。
中では法要が行われている様子でした。
常香炉の煙を、頭が良くなるようにと頭に掛けてから、島の反対側へ。

芭蕉碑の隣に、一際目立つデザインの「ふぐ供養碑」。

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東京ふぐ料理連盟が昭和40年に建立したもののようですが、先程魚塚がちゃんとあったのに、ここでまたふぐ単独で供養しているいうのが気になります。
当たって亡くなった方も一緒に供養しているのか?
初代杵屋六翁の碑、八橋検校顕彰碑、お地蔵さんを経た先にあるのは扇塚。

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実は配信時、「布塚ですね」と間違って、「布を扱っているロサパルティでは懇ろに祈らねば」などと言っていたのですが、後で調べたら扇塚と分かりました。
ていうか読めん。
しかも佐藤?夫さんの詩が添えられていて、佐藤春夫みたいな名前だけど誰だよ、って思ってたら、佐藤春夫でした!だから読めん。

その隣が「スッポン感謝碑」。

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ちゃんと、図案化されたスッポンの形が石に刻まれているのです。

その隣が、「いと塚」。

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これは間違いなく、ロサパルティで祈っておくべき塚ですね。
隣には五輪塔が立っています。

続いて「東京自動車三十年碑」「真友の碑」などを見るにつけ、これらはどういう経緯でここに建てられたのか?という疑問がむくむくと湧き上がってきました。

藤棚の側の「暦塚」は、日時計の先に地球儀がついたデザインが好きなのですが、何故か誰も写真に撮っていなくて残念。
昭和58年建立で、題字は中曽根康弘氏によるものだそう。

その先に、「筆塚」と「包丁塚」。

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筆塚はさすがに、道具としての歴史があるだけあって、嘉永3年建立です。
包丁塚は上豊調理師会の建立ですが、建立年は不明。

そしていよいよ、モノリスのように聳え立つ、最大の「鳥塚」。

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東京食鳥鳥卵商業協同組合及び東京都食鳥肉販売業環境衛生同業組合がお金を出し合って昭和37年に建立したもので、これだけ大きな碑になったのは、組合員の数が多かった為が大きいようです。
経緯も細かく書かれていて、大体どんな手続きを経たらこの弁天島に碑を建てることができるのか、分かるようになっていました。
後は剣豪の碑と、石の表面が剥落したり摩耗してほとんど読めない碑があります。
入口に扉が設置されて中に入れない「聖天島」にも一応寄って、お稲荷さん使いの狐の石像があることや、猫(本物)が寝ていることを確認。
弁天堂の横手を回って表に戻り、大体島を一周したことになりました。
下見の時は30分程で回ったコースでしたが、碑を丹念に見ていったので、ここまでで1時間ほど掛かっていました。

ここで一旦配信は終了。
食事しながら討論会でもやりましょう、とお店を探すことになりました。
最初に入ったお店は満員で待たないと入れないようだったので、私が以前取材したレトロ喫茶「マドンナー」を提案し、向かうことに。
すぐ近くの「王城」には列が出来ていたのに、「マドンナー」は比較的空いていて、地下に案内されました。
私と悠雅くんはナポリタンとミックスフライランチをシェアしたんですが、小松さんが食べていたチョコレートパフェが気になって追加オーダー。

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【フィールドワークまとめ】

・供養塚が上野寛永寺に数多く建てられたのは、ここが都内の中心部であり、永代に亘って子孫が守ってゆきやすい等の理由から。
・塚が建立されたのは主に供養されるものを販売する業者の団体により、高度成長期から安定成長期にかけてが多い。
・塚の大きさやデザインは、恐らく建立した団体の構成員の数(=集まった寄付金の額)に依るところが大きい。

後で調べたところ、仏教の五戒には「殺生戒」があることから「放生」が徳とされており、弁天池を放生の池に見立てて、供養塚が多く建てられた、というような由来もあるようです。

マドンナーでは、松尾さんによるファム・ファタールやアイドル=生贄説が展開され、議論が白熱しましたが、それはまたの機会にご紹介できればと思います。

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その後シャルーンに戻り、夜は栄二さんも交えて聖書読書会。
ユングの「ヨブへの答え」を研究している猫蔵さんが参加されるので、今回は特別編として、ヨブ記の輪読を行いました。

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来月あたりには三鷹の国立天文台、天命反転住宅へのフィールドワークも考えております。
ご興味のある方いらっしゃいましたら、ぜひご参加下さいね。

撮影:由良瓏砂、小松晋一朗

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