No.0320
引越し顛末記・前編
引越し準備を始めてからの半月に亘る綿々たる作業も漸く少し落ち着いてきました。とはいってもまだまだ片付いたというのは程遠い状態ですが、とりあえずPC作業が出来るまでにはなりました。
忘れないうちに、その顛末を記しておこうと思います。
この引越しは、実は既に9年前から決まっていたことでした。
東日本大震災でマンションの壁などにひびが入り、大家さんである1階の水道屋さんから、住民に「10年後くらいにマンションを建て替えます」と通達があったのです。
当然その時点では、まだまだ先のこと、と思っていました。
数年後、大家さんは別の不動産会社にマンションを譲り渡し、会社ごと移転してゆきました。
いよいよビルを建て壊すことになりました、との通知があったのは、一年程前でしょうか。
タイムリミットは今年の9月末。
このマンションには2007年から13年間住んで来て、私の人形や資材、舞台用の小道具、古物の在庫、そして私物のコレクション、服や本、といった物の量が半端ではありません。
それらに手をつけるのが億劫過ぎて、ついつい先延ばしにしていました。
コロナ禍の中、ふと気付くとタイムリミットまで半年を切っています。
マンションの住民達は次々と居なくなり、ついには大家さんから「お引越しの準備は大丈夫でしょうか」との電話が。
それでようやく、物件探しを始めたのが5月下旬のこと。
以前から、井の頭線沿線の一軒家に住みたい、という憧れがありました。
下北沢、吉祥寺がとても好きな街だというのもあります。
私が多大な影響を受けた、人形作家でミュージシャンの三浦靜香さんが住んでいたのが久我山でした。
昔、引越し先を探していた時、浜田山の一軒家を見つけて、契約するつもりが一足先に決まってしまった、ということもありました。
でも、新宿から徒歩圏内でバイト先にも自転車通勤できる便利さは捨て難いし、何よりこの大量の荷物を一度に運ぶのが現実的な気がしません。
近くに新居を探し、何日かかけて、自力で荷物を運びだそうと思ったのです。
それで地元の不動産屋さんに行き、新着物件があったのですぐ見に行ったところ、まあここなら、という感じでした。
経験上すぐに申し込まないと他に決まってしまう、と思ったので、申し込みを進めました。
ところが、どうもその後話が進まないなと思ったら、大家さんの息子さんが住むかも、みたいな話になっていたようです。
申し込みから一週間程経っていましたが、新たに、今の住まいから数分の場所にある何件かをピックアップし、片端から問合せてもらったところ、6件ほど空いていたのでその足で内見に。
内見した中に、大抵は点が辛い相方が珍しく気に入って「ここにしよう」と言い出した物件がありました。
11階にある、見晴らしの良いマンションです。窓や照明などもお洒落な感じでした。
早速申込みをしましたが、管理会社の審査が通らなかったのです。
また一週間程、色々と手を尽くして頂きましたが、ダメでした。
すっかり気力を失った相方は当てに出来なくなり、物件探しも2週間程無駄にした挙句、一からやり直し。
私は、どうせなら住みたかった井の頭線沿線の一戸建てに、とターゲットを絞りました。
すると、お誂え向きの物件があったのです。
出窓にバルコニー、鉄の門扉のある、洋館風の雰囲気が非常に好みです。

条件に合うところは、大抵問合せてももう先着がいることが多かったので、期待はせず、そこがダメでも似た物件を紹介して貰おうと直接不動産屋さんに行ってみると、まだあるというではありませんか。
早速相方に電話して「待ち合わせできない?」と聞きましたが、急過ぎて無理とのこと。
「他に気になるところはありますか?」と聞かれて数件ピックアップしましたが、最初の一戸建てと、もう一件のマンションだけが空いているとのことで、その2件を内見することに。
最初に行ったマンションはメゾネットタイプ?とかで、マンションなのに中で二階に分かれていて、結構気に入りましたが、相方に画像を送ると「古いね」との返事。
次に向かったのが一戸建てです。
一目見て気に入ってしまいました。
画像で見る以上に可愛い!そして中も綺麗!
相方に画像を送ったところ「良いんじゃない?」と言うので、その場で申込みました。
何と翌日には「審査が通りました」との連絡が。
早い。早すぎる。
不動産屋さんも地元のところのアバウトさとは違い(失礼!)とてもしっかりしている印象でした。
さて、ここからが地獄の荷造りの始まりです・・・。
長くなったら中編、後編に分けます。
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